
風水まもり=かみまもり=【第三章】狂気
【第三章】=狂気=
人の魂が、身体から抜け出る時、最期に何を残したいと思うだろう。
愛に満ちた生を送り尽くした者たちはきっと、最期の時を迎えてもなお、愛を残そうとする。
その者たちは、たとえ、どんな最期を迎えたとしても、最期の命を振り絞り、愛をそこに産み落とそうとする。
そうやって、命懸けで産み落とされた愛は、万物を抱きしめるべく、この地に深く染み込み、次の生を育んでいく。
父の崇高なる魂も例外ではなかった。
自分を愛し育み続けてくれたこの地に、残して逝くすべての存在たちに向け、全霊の愛を注いで、次の生へと旅立って行った。
「無条件の愛を、万物に捧ぐ。愛している。永遠に愛している。不安も恐怖もいらない。その存在として、ただあるがままを生きよ。」と言い残して。
母が発した狂乱の悲鳴がとどろき、共鳴した杜中の生が怒りと悲しみで憤っている。
父が残した途方もない愛に気付きようがないほどに、母は自身を亡くしていた。
父の無残な最期を目の当たりにした、けいとみうは、あまりのショックに視界がぼやけ、今にも気を失いそうだった。
毎日、優しく慈しみながら、自分たちを育ててくれていた父が、突如として、この世にはもういないのだという残酷さと、大量に流れ続けている生臭い血の海の中、力無く横たわる父の体と、首が切り離されているという恐怖。
襲いくる残酷さと恐怖の波に、けいとみうは、もう少しも耐えられなかった。
「わぁ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝ーーーーーーー」
2人は気が付くと、大声を上げていた。
それを聞いた大男が、面倒臭そうに舌打ちし、手下に「殺れ」と目で合図をした。
けいとみうの目に、賊の男たちが、ぼんやりと光る一筋の光を反射させながら、自分たちの頭上に鋭い凶器を振り下ろすのが映った。
生卵が割れるように、頭蓋骨が裂け、頭の芯から温かな何かが漏れ出ていく感覚。
目の中に、滴った血が溜まって、目の前のすべてのものが赤く染まって見える。
痛いより、たまらなく怖くて、すごく寒い。
寒くて寒くて仕方がないのに、頭だけが焼けるように熱い。
体がどんどんと冷たくなっていく。
逃げなくちゃって、体から声がするのに
鉛のように重たい2人の手足は、少しも動かなかった。
助けて、怖くて寒い。
だんだんと薄れゆく意識の中で、2人は、母の腹の中にともに宿り、子宮の中に満ちているぬるま湯の中、ぬるぬるとした優しい感触の心地良さを互いに、身体中で感じていた頃の感覚や、この世に生まれ落ち、初めて見た父と母の柔和な表情や、母の乳首を初めて含んだ時の安心感や、小さな舌と上顎で乳首を弄ると、染み出してくる母乳で、全身が満たされていく幸福感を思い出していた。
そっか、何も怖いことなんてないんだ。
すごく幸せで愛に満ちた中で、充分に生きてきたんだ。
愛されていた。
自分が思う以上に、思いっきり愛されていたんだ。
愛ゆえに、母の腹に宿ったのだと2人は心から思えた。
この世の生は、すべて愛でできている。
愛が形を変えて、生になっている。
生をどう生きて、生がどう終わったのかではない。
生命そのものが愛なんだ。
この世で生を生きている時には、そんなこと考えもしなかった。
でも、この世での命が尽きかけている今、圧倒的な幸福感に満たされて思い出した。
命として、存在させてくれてありがとう。
子宮で育んでくれてありがとう。
ただひたすらに満たされながら、最期の時を待っていると、大きなまばゆい光が頭上から舞い降りてきて、2人を優しく包んだ。
ああ、この世の正体は、大きな一つの生である、光だったんだ。
知らなかったな。
なんだ、みんな1人ずつで生まれた後に、大きな光にただ還っていくだけなんだ。
みんなの中に自分がいる。
自分の中にみんながいる。
すごいな。
生きているうちに知りたかったな。
だって
みんなに教えてあげたかったよ。
この世の正体をね。
みんなで一つの光の存在なんだってことを知っていれば、僕たちを殺した、目の前にいる怖い人たちも、哀しんだり苦しんだりしてこなくてよかったのにな。
でももう、しゃべれそうにないみたい。
さよなら。
またね。
けいとみうの小さな命の灯がふぅっと消えた。
2人の命が尽きるのを母は感じ取っていた。
愛しい夫と、可愛い2人の子どもたちを一瞬にして目の前で、奪われた母は、怒り狂い、後ろ手に縛られた縄が、手首の肉に食い込むのも気が付かず、血走った目で、奇声を上げ半狂乱になって、大男に向かって行った。
最愛のものを殺された。
3人はもう戻ってこない。
大男を殺す。
絶対に許さない。許さない。許さない。
大男に挑んで行った母は、大男の腕の肉を噛みちぎり、その肉片を血を含んだ唾液とともに地面に吐き捨てながら、なお大男に体当たりしていった。
その間、大男はまったくの無抵抗だった。
女に刀先を向けようとしている手下を、大男は動くなと手で制してもいた。
大男は、死をまったく恐れることなく、愛するものの命の報復として、我が身を捨てて、向かってくる母の命をなぜか奪う気が起きなかった。
自分は今まで、死を恐れて生きてきたのか?
死にたくなくて、死に物狂いで生きてきたのか?
この目の前の、豊かな肢体を持った美しい女は、死を恐れていないばかりか、死を自分から迎えるべく、この俺に向かってきている。
死とはなんだ?
死を恐れずにどう生きろというのだ?
大男には、自分の中でこだまする問いに、答えられる術を持ち合わせてはいない。
この美しい女がその答えを知っているとでも?
俺が知らずに生きてきたものの正体を?
大男は、何度も体当たりしてくる母のみぞおちに、深く拳を一突きして、母を気絶させ、ぐったりした状態の母を自分の馬の背に乗せ、自分も馬にまたがり、手下を従えてその場を立ち去った。
けいとみうから滲み出た、血や体液を巨石が受け止めている。
また、巨石の足元を囲っている腐葉土の中で、気が遠くなるほどの時間をかけて、世代交代してきた微生物たちが、けいとみうの身体をすでに分解し始めている。
悠久の時を経ても、在り続けるものには、確かな記憶が宿っている。
神官である父と母が、自分たちの命に換えても、絶対に守りたかったものは、次元を超えて受け継いでいくべき叡智なる記憶なのだ。
だから、賊たちの目に見えないドス黒い意識
がすぐ近くに迫ってきているのを感じた時、父と母は巨石が鎮座するこの地に急ぎ、叡智と繋がり、教えを乞うたのだ。
巨石が遥かなる時を超えて、鎮座するこの地には、代々この地を護ってきた神官たちの叡智なる記憶が宿っている。
それをどうしても護りたかった。
護るためにどうしたらよいかを祈り乞うた。
その時、叡智は、あるがままを受け入れよと伝えてきただけだった。
なすすべもないまま
あるがままの委ね。
そうやって
自然という生の循環を受け入れた時
大いなる存在が動き出す。
巨石とこの地が受け止めた、父とけいとみうの記憶は、輪廻という叡智を持ち、微生物の力によって、時間も時空も超えて転生を繰り返し、永遠の生を愛の中でまっとうする。
【第三章】=狂気=完



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