風水まもり=かみまもり=【第三章】狂気

2025.06.07

【第三章】=狂気=

人の魂が、身体から抜け出る時、最期に何を残したいと思うだろう。

愛に満ちた生を送り尽くした者たちはきっと、最期の時を迎えてもなお、愛を残そうとする。

その者たちは、たとえ、どんな最期を迎えたとしても、最期の命を振り絞り、愛をそこに産み落とそうとする。

そうやって、命懸けで産み落とされた愛は、万物を抱きしめるべく、この地に深く染み込み、次の生を育んでいく。

父の崇高なる魂も例外ではなかった。

自分を愛し育み続けてくれたこの地に、残して逝くすべての存在たちに向け、全霊の愛を注いで、次の生へと旅立って行った。

「無条件の愛を、万物に捧ぐ。愛している。永遠に愛している。不安も恐怖もいらない。その存在として、ただあるがままを生きよ。」と言い残して。

母が発した狂乱の悲鳴がとどろき、共鳴した杜中の生が怒りと悲しみで憤っている。

父が残した途方もない愛に気付きようがないほどに、母は自身を亡くしていた。

父の無残な最期を目の当たりにした、けいとみうは、あまりのショックに視界がぼやけ、今にも気を失いそうだった。

毎日、優しく慈しみながら、自分たちを育ててくれていた父が、突如として、この世にはもういないのだという残酷さと、大量に流れ続けている生臭い血の海の中、力無く横たわる父の体と、首が切り離されているという恐怖。

襲いくる残酷さと恐怖の波に、けいとみうは、もう少しも耐えられなかった。

「わぁ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝ーーーーーーー」

2人は気が付くと、大声を上げていた。

それを聞いた大男が、面倒臭そうに舌打ちし、手下に「殺れ」と目で合図をした。

けいとみうの目に、賊の男たちが、ぼんやりと光る一筋の光を反射させながら、自分たちの頭上に鋭い凶器を振り下ろすのが映った。

生卵が割れるように、頭蓋骨が裂け、頭の芯から温かな何かが漏れ出ていく感覚。

目の中に、滴った血が溜まって、目の前のすべてのものが赤く染まって見える。

痛いより、たまらなく怖くて、すごく寒い。
寒くて寒くて仕方がないのに、頭だけが焼けるように熱い。
体がどんどんと冷たくなっていく。

逃げなくちゃって、体から声がするのに
鉛のように重たい2人の手足は、少しも動かなかった。

助けて、怖くて寒い。

だんだんと薄れゆく意識の中で、2人は、母の腹の中にともに宿り、子宮の中に満ちているぬるま湯の中、ぬるぬるとした優しい感触の心地良さを互いに、身体中で感じていた頃の感覚や、この世に生まれ落ち、初めて見た父と母の柔和な表情や、母の乳首を初めて含んだ時の安心感や、小さな舌と上顎で乳首を弄ると、染み出してくる母乳で、全身が満たされていく幸福感を思い出していた。

そっか、何も怖いことなんてないんだ。

すごく幸せで愛に満ちた中で、充分に生きてきたんだ。

愛されていた。

自分が思う以上に、思いっきり愛されていたんだ。

愛ゆえに、母の腹に宿ったのだと2人は心から思えた。

この世の生は、すべて愛でできている。

愛が形を変えて、生になっている。

生をどう生きて、生がどう終わったのかではない。

生命そのものが愛なんだ。
この世で生を生きている時には、そんなこと考えもしなかった。

でも、この世での命が尽きかけている今、圧倒的な幸福感に満たされて思い出した。

命として、存在させてくれてありがとう。

子宮で育んでくれてありがとう。

ただひたすらに満たされながら、最期の時を待っていると、大きなまばゆい光が頭上から舞い降りてきて、2人を優しく包んだ。

ああ、この世の正体は、大きな一つの生である、光だったんだ。

知らなかったな。

なんだ、みんな1人ずつで生まれた後に、大きな光にただ還っていくだけなんだ。

みんなの中に自分がいる。

自分の中にみんながいる。

すごいな。

生きているうちに知りたかったな。

だって
みんなに教えてあげたかったよ。

この世の正体をね。

みんなで一つの光の存在なんだってことを知っていれば、僕たちを殺した、目の前にいる怖い人たちも、哀しんだり苦しんだりしてこなくてよかったのにな。

でももう、しゃべれそうにないみたい。

さよなら。

またね。

けいとみうの小さな命の灯がふぅっと消えた。

2人の命が尽きるのを母は感じ取っていた。

愛しい夫と、可愛い2人の子どもたちを一瞬にして目の前で、奪われた母は、怒り狂い、後ろ手に縛られた縄が、手首の肉に食い込むのも気が付かず、血走った目で、奇声を上げ半狂乱になって、大男に向かって行った。

最愛のものを殺された。

3人はもう戻ってこない。

大男を殺す。

絶対に許さない。許さない。許さない。

大男に挑んで行った母は、大男の腕の肉を噛みちぎり、その肉片を血を含んだ唾液とともに地面に吐き捨てながら、なお大男に体当たりしていった。

その間、大男はまったくの無抵抗だった。

女に刀先を向けようとしている手下を、大男は動くなと手で制してもいた。

大男は、死をまったく恐れることなく、愛するものの命の報復として、我が身を捨てて、向かってくる母の命をなぜか奪う気が起きなかった。

自分は今まで、死を恐れて生きてきたのか?

死にたくなくて、死に物狂いで生きてきたのか?

この目の前の、豊かな肢体を持った美しい女は、死を恐れていないばかりか、死を自分から迎えるべく、この俺に向かってきている。

死とはなんだ?

死を恐れずにどう生きろというのだ?

大男には、自分の中でこだまする問いに、答えられる術を持ち合わせてはいない。

この美しい女がその答えを知っているとでも?

俺が知らずに生きてきたものの正体を?

大男は、何度も体当たりしてくる母のみぞおちに、深く拳を一突きして、母を気絶させ、ぐったりした状態の母を自分の馬の背に乗せ、自分も馬にまたがり、手下を従えてその場を立ち去った。

けいとみうから滲み出た、血や体液を巨石が受け止めている。

また、巨石の足元を囲っている腐葉土の中で、気が遠くなるほどの時間をかけて、世代交代してきた微生物たちが、けいとみうの身体をすでに分解し始めている。

悠久の時を経ても、在り続けるものには、確かな記憶が宿っている。

神官である父と母が、自分たちの命に換えても、絶対に守りたかったものは、次元を超えて受け継いでいくべき叡智なる記憶なのだ。

だから、賊たちの目に見えないドス黒い意識

がすぐ近くに迫ってきているのを感じた時、父と母は巨石が鎮座するこの地に急ぎ、叡智と繋がり、教えを乞うたのだ。

巨石が遥かなる時を超えて、鎮座するこの地には、代々この地を護ってきた神官たちの叡智なる記憶が宿っている。

それをどうしても護りたかった。

護るためにどうしたらよいかを祈り乞うた。

その時、叡智は、あるがままを受け入れよと伝えてきただけだった。

なすすべもないまま
あるがままの委ね。

そうやって
自然という生の循環を受け入れた時
大いなる存在が動き出す。

巨石とこの地が受け止めた、父とけいとみうの記憶は、輪廻という叡智を持ち、微生物の力によって、時間も時空も超えて転生を繰り返し、永遠の生を愛の中でまっとうする。

【第三章】=狂気=完